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忍者寺?妙立寺(みょうりゅうじ)を行く2017/10/09 14:29

今日は休日。
本来なら黒部ダムあたりまで足をのばそうとおもっていましたが
思いっきり寝坊をブチかましてしまったので撤回。


どこか面白いところないかなーって調べていたら
面白そうな寺を発見しました。


金沢にある「妙立寺(みょうりゅうじ)」ってお寺でした。(お寺サイト

「忍者寺」の異名を持っているらしく
海外からの観光客も多く、事前の予約が必要らしい。


面白そうなので電話してみると「3時半からどうぞ」という事で金沢へ。

寺のそばにコンビニがあったけど
駐車だけの利用は気が引けたので民間の駐車場にクルマを
止めて妙立寺へレッツゴー♪


「陽平アート」って何だろう?

今回は軽くスルーします。機会があったら覗いてみよーっと。



スマホのナビに従って寺を目指すと妙立寺を目指していると思われる
外国人観光客が多数歩いておりました。

それにしてもこの周辺には寺が多い。
あとで聞いた話によると50近くの寺がこの周辺にはあるらしい。

しばらくすると東南アジア系の観光客に
「妙立寺」の場所を聞かれました。

オイラも初めてなんだけどな~と思いながら
一緒に妙立寺にいくことにしました。


妙立寺に到着。


寺の周りには観光客がいっぱい。


忍者寺って呼ばれているらしいけど忍者とは関係ないらしい。

寺の中のカラクリなどが忍者を連想させるために
いつの間にこういった呼び方をされるようになったみたいだ。



寺まで案内して観光客にお礼にナッツを貰った。
これ美味かったですわ。



30分ごとに人が入れ替わる形で見学するようです。
場内の撮影は一切不可。

入場で10分、事前の説明で10分、寺の中の見学・・・というより
案内で30分程度・・・ざっと1時間弱くらいでした。



傍から見るとただのお寺ですが
寺の中には落とし穴があったり隠し部屋や隠し階段、
更には見張り台や金沢城まで続くと言われる地下通路に繋がると
言われる井戸まであったりして・・・ちょっとした要塞みたいでした。



この寺が建てられたのが前田利家から数えて3代目の前田利常の頃。

この頃はまだ戦国のピリピリ感が残っており
徳川は3代目の家光が将軍をやっていた頃で
何か不手際があれば有力大名家の取り潰しなどをガンガンやっていた頃でした。

北陸100万石を抱える大藩・前田家はそんな徳川幕府から見れば
「隙あらば・・・」と常に監視されていたそうです。

前田家としてはイケイケな幕府と事は構えたくない気持ちでしたが
実際に戦闘になったことを想定して金沢城周辺の寺を城を守る拠点として
内々で整備していたようです。

この周辺には多くの寺がありましたがその多くは
こういった金沢城を守る防衛線としての役割があったようです。

常在戦場・・・。

現在では(言葉を軽々しく使ってほしくないけど)間抜けな政治屋さんが
たまに使う言葉ですがこの頃の大名はまさにそういった気持ちだったんでしょう。



見学を終えて小腹が減って寺の近くにあった
菓子屋さんでソフトクリームをゲット♪

小腹も満たしたし部屋に帰るベー。




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