久しぶりに上杉鷹山読んでみました。 ― 2022/12/03 22:31
今朝の体重は130.9kg、体脂肪率39.4%、筋肉量75.3kg。
朝の7:12から隣の部屋から低音。
2週間前の土曜日にもあったのである程度は予想していたけど、やっぱり来た。
騒音から逃げるように今朝は川沿いを散歩。
そのついでに業務用スーパーでお買い物。
部屋に戻ってニュースをチェック。
先日のサッカーワールドカップで日本の予選突破に貢献してくれた
VARシステムのシェアの7割はソニーが握っているらしい。
ソニーの担当者は日本×スペイン戦でソニーのシステムを使っているかは
明らかにはしなかったけど、7割だったらソニーっぽい気はする。
ついでに今回のワールドカップではボールの中にセンサーが入っているらしいけど
そのセンサーはドイツ企業が開発したものだったらしい。
予選突破の明暗を分けたVARシステムに日本とドイツの技術か・・・。
本来なら今日は久々に千葉の学校に行こうと思ったけど
オイラを見てくれていた担当者が休みとの事で学校行きは断念。
電話に出てくれた別の担当者曰く、何時の間に千葉の学校が
毎週日曜日が定休日になったらしい、聞いたときは驚いた!
お客さんの書き入れ時の日曜日に学校が休みってヤバいでしょ。
来週は担当者もいるみたいなので、そこら辺の話から聞かねば。
Webの先生の授業とか無くなっちゃったのかな?ちょっと心配になってきた。
おかげで土日のいずれかにやろうと思っていた事が無くなってしまった。
時計を見ると11:30。
部屋でゴロゴロは嫌だし、何より隣の部屋からの騒音を避けたい思いで
散歩がてらクルマで土気駅近くにやってきた。
有料駐車場にクルマを止めて土気駅から散歩だ。
向かう先は職場で扱う予定の土気にあるリフォーム物件だ。
実際に歩いてみた。
グーグルで13分って書いてあったけど、オイラの足が遅いせいか18分も掛かってしまった。
信号で待たされたけど2分くらい差し引いても16分・・・これはいかん。
ただし、土気駅近くの分譲地を見てみたら「徒歩9分」なんて書いてあったけど
実際は11分掛かったし・・・オイラの足が遅いだけの話かな。(笑)
歩いている途中から雨が降ってきた。
オイラは前職にいた頃から雨男だったけど、今日も雨男ぶりをいかんなく発揮。
朝は晴れていたのに駐車場に来た時には既に曇り空。
オイラが歩けば雨が降る。
雨がきつくなってきたので讃岐うどん屋に避難。
メシも食べてなかったのでここで昼飯。
店のスタイルは丸亀っぽい感じ。
冷やしが470円。トッピングは120円オール。これで950円。
味は悪くない。トッピングもボリュームあるしオイラは好きかも。
もっと散歩したかったけど雨が強くなって散歩は中止。
まだ時間はあるし、実家に寄って上杉鷹山の本を回収。
夜のニュースでサッカーワールドカップの組み合わせが確定したらしい。
日本の初戦は前回大会準優勝のクロアチア。
いきなり難敵だ。さすがベスト16ともなると強敵揃い。
ニュースの後は久々に読書。
実家から持ってきた上杉鷹山の本を30年ぶりくらいに読んでみた。
最近、職場の社長が顧問の方から上杉鷹山の本を勧められたらしい。
久々に上杉鷹山の名前を聞いてオイラも読みたくなってきた。
オイラがこの本を買ったのはハッキリとは覚えていないけど多分30年くらい前。
当時、堤義明や小沢一郎など「次世代のリーダー」についていろいろ本が出ていて
読んでみたけど、超トップダウンでバリバリ体育会系で軍隊っぽいノリが
どうしても好きになれないし毛嫌いすらしていました。
そんなタイミングで知ったのが上杉鷹山(治憲)を描いたこの小説でした。
ケネディがリスペクトしている日本人って、どんな人やねん?って思って読んでみたら
領地返上直前まで悪化した上杉家の財政を改善させるきっかけを作った名君でした。
当時はこの小説を読んでスゲー人だと思っていましたが
本当にその凄さを更に思い知ったのは多分10年以上前に
NHKで放送された鷹山に関する番組だったと思う。
秀吉政権下で120万国の大大名だった上杉家は関ケ原の敗戦で30万国に。
江戸時代になって世継ぎ問題でヤラかして石高が15万石まで減らされておりました。
更に上杉家は後継ぎがいない状態になってしまって後継者として
白羽の矢が立ったのが、あの忠臣蔵で有名な吉良上野介の
子供(五代目・綱憲)だったのが運尽き。
実父・上野介が藩運営に介入して「他の藩に負けないくらい格式高く飾るのが第一」って
言う無茶な事をするから藩の収入の98%が人件費と言う異常事態を招きました。
ピーク時の1/8まで石高を減らしていたのにリストラもしないで
120万石当時の人員で藩経営をしていたもんだから財政は火の車。
フツーの会社だったら、とっくに潰れているレベルです。
その後、代を重ねるにつれ、上杉家の借金が雪だるま式に増えて行く。
かつては名門の上杉家でしたが、商人からも毛嫌いされたり、庶民からは
嘲笑の対象になるほど上杉家の貧乏ぶりは全国的にも有名になってしまいました。
先代の重定は藩を幕府に返上したいけど、名門ゆえに返上できないジレンマを抱えながらも
裕福な生活も止められず、藩政を投げ出した形になって「誰もやりたがらない上杉家」の
後を継いだのが当時、日向国・高鍋藩の次男として生まれた松三郎(のちの鷹山)でした。
改革の詳細まで書くとキリが無いので省略しますが松三郎は名を改め
上杉治憲(のちの鷹山)となって上杉家の藩政改革に取り組み、領地返上直前だった
藩財政を回復させるきっかけとなりました。(莫大な借金は鷹山の死の翌年に完済)
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」や
ガースー前総理大臣が語った「自助・共助・公助」も鷹山が由来とされています。
鷹山が次期藩主・治広に代を譲る際に送った「伝国の辞(でんこくのじ)」は
3か条からなる藩主としての心得ですが、恐らくJFケネディが唸ったのは
この伝国の辞なのかな~と思う今日この頃です。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。